囲碁や将棋など限られた盤面、ルールの中で行われる判断とは異なり、自動車の運転のような複雑な状況判断が絡む振る舞いには、唯一絶対の正解はない。現在は、(少なくとも建前上は)「人間の運転をAIがサポートする」という構図だが、段階を踏んで徐々に「AIの運転を人間がサポートする」「人間の介入がない方が安全性が高くなる」と進んでいくのは既定路線と言ってもいいだろう。そうなったときに、人間に責任を求めることは難しくなる。だが、いかに責任を問われなかろうと、人の心のうちには“引っ掛かるもの”が残る。「あるAIの結末」は、法律上の問題でもなく、倫理上の問題というには少し大げさかもしれない――けれど決して無視できない側面を、丁寧にすくいとって描いている。
高度なAIの前で人間は「責任」を取れるのか? 「自動運転車による死亡事故」が投げかけるもの(ねとらぼ)