自動運転化の前に「自転車の行き場とモラル」を

自転車が老若男女、年齢を問わず重宝される最大の理由は、運転免許証が不要だからだと思う。自転車の国内保有台数は約7億6000万台で、なんと一人当たり6台持っている計算になる。凄い数だ。

筆者は東京在住なので、これから書くことは「都市部における」が前提になることをあらかじめ了承願いたい。

 

自転車は大方の人は歩くより速くて便利だと感じているだろうが、半面ヒトや自動車と接触しそうになるなどこわい思いもするマイナス面も少なくない。理由は簡単、自転車には事実上専用の走行路がないからだ。

自転車の速度はおよそ15キロ。歩道では原則として走行できないが、つい走ってはいけない歩道を走る自転車も少なくない。そもそも時速4キロ前後の歩行者と同じところを走ること自体が無謀だ。

 

オランダなど自転車先進国には、自転車の専用通行路が充実していると聞く。日本ではすべて後付けなので、元々あった自動車道路を拡張するでもなく、ただ車線左側に自転車通行の絵が描かれたところを原則走行する。これだと停留所に止まったバスが停車しても、配送トラックなどが停車していても、そこで通行が妨げられることになる。当たり前だし、実はかなり危険でもある。

 

自転車のマイナス面でもう一つのファクターが冒頭で指摘した無免許で走行出来ることだ。それ自体が悪いのではなく、結果的に道交法、というよりごく当たり前の常識を守らない自転車がかなり多い。信号無視、左側通行無視、一時停止無視・・・etc。私はこのような自転車を勝手に「暴走チャリ」と呼んでいる。

 

レベル4以上の自動運転化はもう少し先だが、人を乗せないデリバリー専用ロボットはもうすぐ普及するだろう。これが走るのは歩道が中心となる。歩行者はともかく、果たして自転車と仲良く道を共有できるだろうか。

 

実は行き場があいまいなのは自転車だけではない。これから普及が見込まれるであろう「電動キックボード」や超小型の「スローモビリティ」もそうだ。このような移動体が健全に普及していくためには、法規制や道路インフラ整備が重要なのは当然だが、果たしてすべてを行政に依存することでよいのだろうか。

日本にもバルセロナのスーパーブロック計画のように「車道空間の使い道を住民が決める」時代がくればと願う。

 

道路という公共物は、本来はそこを使う人たちが使い方を考えるべきなのだ。なんでもかんでも「お役所任せ」は時代遅れなんじゃないですか。

2021,6,17