今こそ「自動車ジャーナリスト」の出番じゃないか!①

どうやら、今後数年で自動車を取り巻く環境や事情は劇的な変化を迎えそうだ。

自動車は、少し前まではだいたい大手自動車メーカーが主導的に先進技術やマーケットを形成してきたように思う。その規模の大きさは日本の屋台骨すらも支えてきた、と言っても過言ではない。しかし、いかなる巨人にも永遠はない。人にとって自動車「的」なものが必要であることは今後もずっと変わらないだろう。しかしマーケットが、「移動手段に何らかの割り切り」を感じるようになった時、果たして従来の構図や仕組みで通用するのだろうか。

大方の自動車関係者はそこには間違いなく気付いているだろう。変化は日々TV、新聞、ネットなどで報じられてはいる。たいがいは断片的な概要程度で終わる。比較的深く踏み込んでいる報道もあるが、ざっくり言うと論点が二分化しているように思う。経済系メディア視点とそれ以外だ(=日本は世界レベルから遅れ始めている!対日本は底力を秘めている!)。そこで自動車とその周囲を知り尽くした自動車ジャーナリストの視点が重要になってくる。その理由は、

その1「自動車の電動化」 自動車ジャーナリストならば、今の電動化へのアプローチがかなり前から始まっていることを知っている。おそらく、なぜか日本にはピュアEVが日産リーフと三菱アイミーブしか存在しない理由も知っている。トヨタの最近のEV戦略とも言える動きと着地点も察知しているはずだ。つまり電動化の流れを過去も含めて技術面から系統的に解明できるのは自動車ジャーナリストだけのはずだ。

当然ながら、インフラ整備はもちろん、車両の電動化と電気エネルギー政策は切っても切れない。原発推進の現政権と小泉元総理ら原自連が発表した「原発ゼロ・自然エネルギー基本法案」は世論を二分するだろう。政局や法曹界見地ではなく、自動車から見た見解でいい、自動車ジャーナリストならではの視点が見てみたい。

その2「自動(自律)運転化の流れ」 SAE規格自動運転にはレベル0~5までの定義がある。自動運転というだけでレベル5のドライバー不要の完全自動運転車を連想してしまいがちだが、それは違う。自動ブレーキアシストなどレベル1~2はすでに製品化・普及されており、このセンサー技術進化などが自動運転に大きく結びつくことを自動車ジャーナリストは知っている。電動化と自動運転を混同して論じられることが多いが、そこを整理して語れるのも自動車ジャーナリストの特色であるはずだ。

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その動きは2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催と連動しているかのような論調もあるが、技術はもちろん、法律&インフラ整備とマーケット意識こそが重要で、自動車を操って自動車を論じるジャーナリストが、操らずに何を論じるかとても興味深い。

続く

 

※写真は2018CES(家電見本市)に出展されたトヨタの自動運転提案車「イー・パレット」