日本エレクトライクのウェブページを開くと、まず「温故知新」という文字が目に入る。
温故知新とは、「過去に学んだことや昔の事柄をもう一度調べたり考えたりして、新たな道理や知識を見出すこと」とある。
3輪EV「エレクトライク」は同社CEOの松波さんが、50年以上日本のメーカーが見向きもしなかった小型3輪車両に、独自の最新EV技術をドッキングさせれば今の時代に合った新しい「価値」が生まれるはず、という信念と着想から生まれた。
「温故知新」という言葉がそれを端的に表しているのではないだろうか。
今年6月8日、「日本で16番目の自動車メーカー誕生」というキャッチが各メディアを飾った。同社のエレクトライクが国交省の型式認定を取得し、正式に自動車メーカーとして認められた瞬間だ。
言葉にすればわずか1行で終わるが、規模の大小はともかく同社がトヨタ、日産、ホンダなどと同じ土俵に立つ、まぎれもない「自動車会社」になった、ということでもある。
果たして、日本エレクトライクと同社CEOの松波さん、そしてスタッフたちを駆り立てたものは何だったのだろうか。超小型EVの健全な普及を応援する当会としては、このエポックをお伝えしないわけにはいかない。その第一弾として、まずは松波さんを訪ね、これまでの道程などを伺った。
起業で一番大切なこと、それは「人」。あとは直感!
──どういうタイミングで自動車メーカーを目指したのですか?
松波氏 10年くらい前から母校の東海大と産学連携で電気自動車を作ろうと取り組んでいました。世界一安全で環境に優しい電気3輪自動車を開発することを目標に、地元川崎市のビジネスオーディションに応募したらなんと起業家大賞を獲ってしまったのです。
ミゼットをモチーフにした3輪車で、安定性(旋回時に倒れにくい)とニュートラルな操縦性をとことん追求したものを作ろうと。
その後友人の草加浩平氏(電気自動車普及協会理事、東京大学特任教授)の紹介で千葉さん(日産自動車でEVハイパーミニのチーフエンジニアを務めたEVのスペシャリスト、千葉一雄氏)との出会いがありまして、いっしょにやっていただけることになりました。もうやるしかないですよね!
信じるものに向かってひた走るエネルギーは今も何も変わっていない。だからこそ自動車メーカーとしての日本エレクトライクを実現できたのだと想像する。松波さんから言わせれば、「年齢? なんですかそれ?」といった感じだろう。
──なぜ、ボディにインド・バジャージオートの3輪車を選んだのですか?
松波氏 もちろん、ボディを自社で作ることも考えなかったわけではありません。しかし、それでは誰でも買えるリーズナブルな価格設定は望めない。となると、どこからかボディを購入してEVコンバートするしかないわけです。
東南アジアに仕事で行った時に見た、インドのオートリキシャ(3輪車)なら、20万円以下で入手できる。これを元にEVコンバートすればいけると直感的に思いました、私にとっては大好きな3輪車に抜群の操縦性と安定性を持たせるのには自信がありましたからね。
問題はそこからです。バジャージオートはインドの大企業ですから、ぜんぜんパイプのないこちらの顔では全く相手にされない。いろいろとコネを使って大使館にもかけあってみましたがそれもダメ。ニッチもサッチもいかない日が1年間ほど続きました。
そこで中学のころからの親友だった森英介氏(自民党衆議院議員・元法務大臣)に相談したらとんとん拍子で話しが進みました。現実的には日本の中小企業に海外の大企業が最初から対等に付き合ってくれることはまずありません。こちらも必死だったので、人脈を活用させていただいたわけです。森さんには本当に感謝しています。
結果、少ない台数でも安いロットで購入でき、エレクトライクの100万円を切る価格設定が現実のものになったわけです。
人脈があったからこそ決断できた!
松波さんは、かつて一プライベイターとしてラリー活動をしてきたが、あるきっかけからトヨタのワークスドライバーとして声を掛けられている。
氏は同世代や後輩からは持ち前の明るさから慕われ、そしてラリー界の重鎮たちからは全幅の信頼を得てきた。それは速さという実力を備えていたのは勿論だが、おそらく何を進めるにも大切な原則を、本能的に若くして極めていたように思えてならない。それは何よりも人との関係を大切にしてきたことではないだろうか。
人脈の形成は、氏の人生最大ファクターであり、今回の型式認定にも繋がっていったのだ。
松波さんと話しを交わすと、とにかく「人」が随所で登場する。
かつてのラリー、モータースポーツ関係者との交流は今も続く。同社取締役の山口義則氏は元トヨタ17技術部(モータースポーツ関連)出身。TASC(業界では自工チームと呼んだ)の超一流ラリードライバーでありエンジニア。かつて松波さんをトヨタに誘った張本人でもある。現在はその山口氏のもと(富山県)最新技術を介してエレクトライクは組み立てられている。
前述のエンジニア、学者、政治家をはじめ、世界的権威のお医者様など、その人脈の広さは驚異的とも言える。そのすべてをずっと大切にしてきたことこそが、日本エレクトライクスタートの原点だったのではないだろうか。
まずは目先の利益よりも信頼の獲得
──これからのEVや、取り巻く環境はどうなっていくと思いますか?
松波氏 EVは簡単に作れるから儲かる、と思っている方が少なくないようですが、ちょっと違うのではないかと思います。我々は儲けることが目的ではなく、スタッフ全員が良いモノを作りたい、という信念の技術者が集まっています。売上げはその先に必ずついてくるものとも思っています。
ですから、そのためにはまずユーザーからの信頼を得ることが一番です。型式認定取得の過程には厳しいチェックが入りますから、こちらは大変ですけれどユーザーに対しては結果的に安全性などの安心感が提供でき、公的助成金などが受けられることにもなりますから大きなメリットになります。
EVの今後のことですが、まず経済的には絶対に通常エンジン車よりも安く提供、維持できること。それが絶対条件ですね。もちろん、理想を言えば公的な補助などなくてもリーズナブルな価格設定ができればいいのですが、普及が加速しないと電池も安くなりませんから、これからも困難な道が続くと思います。政府や地方自治体が、電気自動車を普及させるためのなんらかの条例も設けていかないと普及は簡単には進まないでしょうね。
そしてEVの使われ方ですが、エレクトライクはモノを運ぶ用途に割り切っています。それも短い距離という前提です。ぼくはEVが通常のクルマと同じ土俵にないといけないなんてぜんぜん思いません。EVだからできる価値を見出すことの方が大切だと思っています。
3輪で小さいエレクトライクが、そういうことの引き金になってくれたらいいですね。
アジアの空をキレイにしたい!
──日本エレクトライクの今後の展望は?
松波氏 自動車メーカーとして今後もっと認知されることと、エレクトライクの長所を認めていただくことです。そのためにも国際特許を申請中ですが、それは将来的に東南アジアに技術提供をできればと考えるからです。
東南アジアには200万台以上の3輪車が走っていて、排気ガスをたれ流し、健康被害などが問題視され社会問題化しています。その環境を変えなければならないことは誰の目にも明らかなことです。
仮の話しですが、当社の技術提供で月に6万台くらいの3輪車が電気自動車に入れ替わっていったとすれば、アッという間にアジアの空がキレイになりますよ。これ、夢物語ではないのです。そのためにも、まずは国内で本年度の販売目標として100台、2016年度には200台の販売を予定しています。
すべてはそこからです。我々は今そのスタート台に立ったと言えるでしょう。
と、しゃべり終わると同時に松波さんは、人懐っこい顔で「メシ行きましょう!」と一言。
初対面ではないとはいえ、40年ぶりの人間にも気さくに応対する姿に、改めて誰からも慕われる人間性を垣間見られたような気がした。
エレクトライクとガソリン軽4輪バンとの10年間コスト比較表(単位:千円)
項目
|
エレクトライク
|
ガソリン軽4輪バン
|
車両価格
|
1000
|
1000
|
車庫証明
|
0
|
2.6
|
イニシャルコスト計
|
1000
|
1002.6
|
ガソリン、電気代
|
18.1
|
92.0
|
税金
|
2.5
|
3.0
|
自賠責保険
|
6.3
|
12.3
|
年間小計
|
26.9
|
107.3
|
10年分小計
|
268.9
|
1073.1
|
オイル交換(年1回)
|
0
|
5.0
|
バッテリー交換(5年に1回)
|
300.0
|
|
交換費用小計
|
600.0
|
50.0
|
10年分ランニングコスト計
|
868.9
|
1123.1
|
1868.9
|
2125.7
|
参考:日本エレクトライク出典資料より