【提言】ジャーナリズムも社会インフラの責任を自覚すべき

「運転支援システム」で「緊急ブレーキ」装着の是非を議論している昨今だが、「ブレーキ本体の制動距離」を議論しない感覚は、技術的には「論外」なほど的外れだ。自動車ジャーナリストの中で「モラルの高い」記事を書いている人もいる。しかし、受け手のユーザー側が内容を受け入れないのでは、「お金」を考えればジャーナリズムの質も落ちてきてしまう。「メーカーの品質問題」の話を避けようとしているジャーナリズムは、「メーカーから仕事を貰っているから」と正面から主張するなど、そのモラルの低下は社会的に許される限度を超えている。アウディの現役社長が逮捕された事実を取り上げ論説した日本の自動車ジャーナリストを未だに私は知らない。ジャーナリズムは、ネットが発達した現代でも「人間の自由」、つまり国民の「知る権利・言論の自由」などと密接な社会インフラなのだ。その責任を自覚すべきだ。

続・トルクと馬力が分かると運転がうまくなる(2) ジャーナリズムも社会インフラの責任を自覚すべき(財経新聞)

 

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