「原発聴取会」の在り方に異論あり!

7月16日、脱原発運動では最大規模の17万人(なぜか警察発表は7万人)の「さようなら原発集会」が東京・代々木公園で開催された。猛暑の中会場には福島はもちろん北海道から九州まで全国から家族連れや、グループ、個人の参加者が集結した。音楽家の坂本龍一、作家の大江健三郎、瀬戸内寂聴らが呼びかけ人となり、多くのメディアも大きく扱った。毎週金曜日に行われる官邸前のデモも日増しに参加者を増やしており、もはや単なる社会問題というレベルではない。もちろん、政府が今行っている2030年のエネルギー政策のあり方の検討についても同会はきびしい目を光らせている。(出典:「さようなら原発1000万人 アクション」)

注目の「原発聴取会」。各地で行われたその意見聴取の場で電力会社関係者が参加しているからフェアではないだのなんのなど何かと物議を醸している。

大元は政府主導の「エネルギー・環境会議」。8月にエネルギー・環境戦略を決定するために実施する国民的議論の一つとして提示された「エネルギー・環境に関する選択肢」(2012年6月29日)の、「討論型世論調査」を7月上旬~8月上旬にかけて実施していく、というもの。
国民的議論を経て原発依存度を2030年までに「ゼロ」、「15%」、「20~25%」の3つの選択肢http://www.sentakushi.go.jp/scenario/から決めていこうとするもので、一見すると的を射ているようだが、再三に渡りこのコラムで述べているように、エネルギー問題とは国の根幹を成すものであり、国民的議論を経ていくこと自体はいいとしても、その方法や拙速さは大いに疑問だ。

以前、小コラムで、
「なんでこの国はいつもそうなのだろう。問題先送り、なし崩し、本質からの逃避そのもの。今エネルギー政策で叫ばれているのは、原発維持か脱原発なのか、だけに終始している気がするが、それではあまりにも短絡すぎる。
量的(電力供給量)には、今現在の季節差を含めた電力需給と5年、10年後の電力需給までをあらゆる省エネ技術、発・蓄電技術を考慮したシミュレーションが割り出せるはずだ。コスト面ではフェアな専門研究機関で電力自由化を含めたシミュレーションを出してもらう。これにも5年、10年後が必要だし、廃炉や除染などの見えにくかったコストも加えることが必須だ。
そうした後、マクロレベルでのエネルギー政策を安全リスクも加味して何通りか公開する。その中の一つを最良として政府決定すればいいが、必要なら選挙を介してでもいい。もちろん、その経緯にはいかなる特定利害、権益は介入しない。絶対に
と述べた。
エネルギー・環境会議は確かに3つの選択肢を掲げたが、どうも本質から少々ズレてやしないだろうか。

異論1:ちょっと順序が違う気がする

3.11以後、原発事故を目の当たりにした世論は、代々木公園などの反原発デモを見ても分かるように原発の危険性を政府や国民に強く訴えている。ほぼ取り返しのつかない状況を生んだ元であることは事実なのだから、当然と言えば当然だ。

不誠実さが透けて見える政府、経産省、原子力委員会、原子力安全・保安院、東電の対応を見るたびに、「それ(原発廃止)もやむなし」と大方の人は感じるだろう。では、脱原発ですべてが解決なのか、と言えばそれもちょっと違うと思う。

3.11を体験して考えるべきは、完ぺきな検証をもって地震、活断層などきわめてシビアな国土条件を持つこの日本で果たして原発を100%に近い(事実上100%はあり得ない)確率の安全性を確保し維持・管理できるか否か、から始めることではないだろうか。

姑息な手段で再稼働を決めることなどは論外。
まず、不幸にも避難を余儀なくされ、根底から生活を変えざるを得なくなった被災者への保障の実行と全方位のサポートプログラムの確立が必須条件だろう。そして、この体験を生かした安全に足る未来への対応だ。
そのいずれもが確立されていないのにも関わらず、「責任は私がとる!」などと総理が息巻いたところで、実際にほとんどの責任所在が曖昧なまま原発再稼働が進んでいくのだから、そこに疑問を持たない方がむしろおかしい。
つまり、仮に超デリケートな原発を維持していくとしても、3.11以降の関係者の対応や言動を見れば、それだけで現時点で日本は原発を持つ資格はないということになる。

異論2:エネルギー問題=原発への賛否だけなのだろうか

3つの選択肢自体にどうこう言うつもりはないが、いかにもお役所的だなと感じるのが、原発をゼロにするか15、20~25%維持するかという原発コストを基準とした発電コストだけにほとんど終始しているところだ。もし現状の大規模集中型電力供給の仕組み維持が前提となっているのだとしたら本末転倒の極みとしか言いようがない。

技術的にも国民意識的にも電力供給の小規模分散化、HEMSムーブメントが飛躍的に高まりつつある現在、電力自由化への道筋を示すという選択肢もあるのではないだろうか。国民に問うべきは、既成概念を打破するその覚悟なのであって、前提を固定化することで進めるとしたら、「それは違うよ、野田さん」と言うしかない。

異論3:国民的議論はいいけれど、政府にゆるぎないエネルギー政策はあるの?

個人的な意見だが、電力関係者だって一つの民意だから「討論型世論調査」に参加すること自体は格別問題ないと思う。どんな議論にも賛成もあれば反対もあってしかるべきだ。
メディアが騒ぐから、とっとと電力関係者を排除するという政府の姿勢は世論へのガス抜き対策としか思えない。かえって見苦しい。
それよりも懸念が尽きないのは、「討論型世論調査」をやりましたよ、という実績だけを掲げて、冒頭で示したような原発維持・管理の対策を何も示さないまま「15%」なりの足して2で割る結論に到達することだ。

国民的議論と言えばきこえはいいかもしれないが、裏を返せば政府に確固たるエネルギー政策(理念)が見えていないとも解釈できる。

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電力料金に直結する電力エネルギー・システムは生活者や事業者にとって今や大きな関心事である。この先、果たして総括原価方式に守られた今の仕組みを維持したままでいいのか、それとも電力自由化をもって臨むべきなのか。課題は原発の賛否だけでは終わらないのではないだろうか。